目次

春に思っていたこと
この文章は、2023年の春に「ゲンロン15」への寄稿のために書いたもの。当時は、母の加療が進み、さまざまが満身創痍だったのだけれど、ご依頼を受けた直後にわたし自身にも病が発覚して、かなり大きな手術を受けることになった。術前に受けた告知は深刻なもので(詳細は長くなるのでいずれまた)、このエッセイがわたしの書く最後の文章になる可能性が本当にあるなと思いながら書き、最後の文章のつもりで書いた。書きながら、上田洋子さんと東浩紀さんの手がける雑誌でよかったな、とも思っていた。あれから三年がたって、いろんなことが変わってしまった。読んでいただけると嬉しいです。 ゲンロン誌からエッセイの依頼をちょうだいして、テーマはとくに決まっておらず、なんでも自由に書いてくれとのことだったので新鮮な気持ちになった。この数年、女性誌などでお題のあることについて書くことはあったけれど、なんについて書いてもよいというのが嬉しかった。これは考えてみればおかしなことで、ネットだってあるのだからいつでも好きなときに好きなことを寄稿でなくても書けばよいのに、そういえば何年も書いていなかった。この仕事をするきっかけになった
結婚は罠ではないのか
ハローみなさま、いかがお過ごし、あっというまに三月も終わり、四月、四月だった四月が始まるけれど、もう終わったような気もしてる、暗いニュースがなかった日など、これまでもこれからも存在することはないけれど、ただ子どもだった頃はそうでない日が少しはあった、そう、子どもの頃は、どこからも誰からも、なんにも届かなかったし、届けなかった、もう一度、あんな日々にもどることはできるだろうかとこう書いて、しかし子どもの地獄はもっとも悲惨なものとして、いまこの瞬間にもあった/あるのだから、かろうじて日のあたっていた時間のほうを思いだすことができること、ありがたさより後ろめたさのほうがどうしたって濃くなるね、こんなに長く生きてしまって、そしてこんな時代だからね。
生きているわたしたちでは無理なこと
ハローみなさん、いかがお過ごし、春の夜です、静脈管のなかを前進するのは中也がいた春/中也がみた春、いまわたしは外にいて音もなく春雨が降っている、いま本物の春雨を見ているのに頭にふらりうかぶのは広重の春之雨だったりして、かの年かの月かれら難所をゆき難所をゆき、フィクションと生の含みあいは、まったくこんなところにも。
すてきな激務、春の夜
ハローみなさん、いかがお過ごし、『黄色い家』の英語訳がアメリカで刊行されて、わたしは怒濤の数日間を生きていた/生きている、パブデイにはたくさんのお祝いのメッセージが届き、書評もたくさん出て、時差をのりこえチームとキャッチアップをしているとあっというまに時間が過ぎて、夜になって、むこうは朝で、そのくりかえしをたくさんセット、初夏から始まるツアーの準備もあって、原稿のしめきり、翻訳のチェック、インタビューの戻し、スケジューリング、確認&確認&決定&相談&決定で、思わず、えづいてしまいそうな忙しさである。その激務の中心にいるのは、わたしの個人アシスタントのミミで、ミミの驚異的かつ献身的な働きによって、わたしの仕事のすべては支えられており、おれはミミにいつ「モームリ」と呟かれてしまうのか、涙目でいるのである。だってあまりに激務なんだもん。ミミよ、おれは心から感謝しています、来年になったらちょっとゆっくりしようよね!
春は着倒れ、ユリシーズ
ハローみなさん、いかがお過ごし。東京の春は深まって深まって、匂いが帯のようにたなびいて少し足踏み、すくんでしまう、春の強風世界のような日もあったこの1週間、わたしは仕事と家事をし、生きていた、みなさんはどんな七日間やった? たった今、わたしは気が重かった原稿の、もう数えきれないくらいの量の書き直しを経てこれが決定稿になって完全に手を離れることをまじ祈りながらの入稿を終えて5分くらい、ぼんやりしていた。疲れた。とここまで書いて、おれは今、台所へ行って軽くごはんを食べてきた。わたしはインスタントラーメンが大好きで、さっきも食べたかったのだけれど、さすがに今週は食べ過ぎたので(三日連続でいただきました)、常備菜とごはんにした。昨日の夕飯はスパゲティだった。原稿を書けばもちろんなんだけど「ああ、もうまじでいよいよ入稿か、まじか、誰が書くねんな」とソファで横になって思ってるだけでお腹が減るので150グラム食べてもまだ足りない。
惹かれあっている者のことなど信頼するな
ハローみなさま、いかがお過ごし、方眼紙のますめのように三寒四温がやってきて、いまはいくつめ、つめたい雨が降っていて、今日は美容室へ行ってきた。気がつけば美容室エルメにいるような気がするけれどおれの通いは3週間に一度。この20年近く毎月必ず武田くんに会ってきたわけで、考えてみると成人してからは親より姉弟より多い回数を会ってきたのだと思うとすごくないか。そしてやっぱりいつどんなときも髪をずっとさわってもらう関係というのは、ほかの誰とも違うかかわりなのだよね、これからもずっとよろしくお願いしますの気持ちなのだった。
打算も稼ぎも幽霊も
ハローみなさま、いかがお過ごし、わたしはこの一週間、とても、すごく忙しかった。忙しすぎてちょっと涙がにじむくらい忙しかった。胸も背中も。こういうときの涙はとくに感情を経由しない感じでにじむ、心の汗、そう涙はときに心の汗。移動したり、人に会ったり、とにかく動いてたからやな。みなさんはどんな一週間やった?
クララで下着を買ったから
ハローみなさま、いかがお過ごし、このあいだは東京は雪が降って積もって真顔の真冬だったのに、今日などは半袖で過ごせるかのような昼下がり、執筆&入稿・執筆&入稿、ワンツワンツで2月の上旬は原稿のために予定を入れていなかったのだけれど、しかしどうがんばっても終わらない、わけなんで、しかし打ち合わせや会食はキャンセルできない、わけなんで、そうすると入稿だけがどんどん遅れていくと、こういうわけや。昔はさあ、エッセイやったら一日に3本は楽しく入稿できたわけよ、小説かって、下調べがめさんこ必要なシーンであっても(たとえば『夏物語』の恩田がのりのりでしゃべるところとか)二時間くらいあったら青信号だけさあっと渡っていくみたいに濃厚かつ爆速でわいわい書けたわけよ、しかし最近はどうよ、確実にこれスロウになってる、不毛な苦労じゃないけどああもう政治の懸念も不安もいろいろあるけど、みなさまはどんな一週間やった?
雪、楽しみ、お母さん
ハローみなさま、いかがお過ごし。これを書いている今は夜、さっき家の外に少し出て、こんなに息がはっきり白くて東京の夜の冷たさは鋭くて、庭の木の葉っぱにさわってみたらどれもひんやり、花びらもやっぱりひんやりしていて、土のなかはどうだろう、全身で入ってみたことないからなあ。
そんなところに隠し包丁
冬の中央たる一月は去り、わたしは膝のうえにかぬれをのせて、薄茶にひかる短いまつげを見つめてる、ああ、時間の区切りというものは言語の言語によるつごうなのだと、こちら側からみる生も死も、やはり言語によるひとつの解釈なのだと、言葉をもたないかぬれのお腹のあたたかさ、もくろみのなさ、ただそこにいるだけで、そしてそのことをかえりみることもしないさま、これは、なんという感触だろう。わたしは人間の赤ん坊を育てたけれど、犬や猫と風とおなじだった時代は、あっというまにすぎてしまった、赤ん坊だった息子やわたしが失い、今も失いつつあるものだけで存在している犬のかぬれ、眠り食べて見つめて眠る毛のすべて、どれだけ抱っこしてもしたりない。
冬の扉
ハローみなさんいかがお過ごし、めぐるシーズンめぐらないシーズン、得意な月と、そうでない月がみんなあると思うけれど、わたしの場合は1月&2月、額のうらと胸の奥にぶあつい曇天がひろがって、しかしいちばん忙しく、いちばん移動し、いちばん働くのも、今なのだった。今年は、年末に文庫化された『黄色い家』が3月にイギリスとアメリカで刊行されるので、そのぶんの仕事も重なって、土曜日も日曜日も働いているあんばいです。ひとつほっとしたのがサイン本、書いても書いても紙は減らず、まったく減らず、ドラえもんの逆・バイバインみたいな感じだったけどぶじに終わって、1万5000枚って何なのかといえば武道館のキャパくらいなんだよね。でも、屋根があるところで、かぬれがそばにいるところで、この文字をじっと見つめてくれる読者がいつかいるのかもしれないと思いながら名前を書くことができるなんて、とてもしあわせな時間だったです。
あなたは星と星のあいだに
ハローみなさん、いかがお過ごし。今朝は暖かな一月の朝で、風がつよい、ものすごくつよい、風がつよいと胸は動く、すごく動く、草原なんかどこにもないのに草を波うちどこまでも走る風をみて、おんなじようにどこまでだって走れそうなそんな気が、膨らむ風・思いだす風、あの人は優しかったなあ。
チョコレート、あるいは崖と青い決心
みなさんどんなお正月を過ごされたろうかな、わたしは姉弟と穏やかでひしひしと過ごした数日だった。かぬれも連れていったので朝晩の散歩、そして出かけたのは阪急百貨店。「お正月やし贅沢しようで!」と贔屓のチョコレートを買いにいったのはいいけど二日はまさかのお休みで、翌々日、無事に入手したのだった。
冬の挨拶
2026年になりました。みなさまにとって穏やかな一年になりますように! 一晩が明けて「りぼん通信」に、たくさんの読者の方々がご登録くださったことを知っておれはもう感無量。ストーリーズにも書いたんだけれど胸いっぱい。ほんまにほんまにありがとう。
その一瞬のために
遠い親戚に、目の見えないおじさんがいた。 数回しか会わないままわたしは大人になり、彼はもう死んでしまったけれど、もう三十年以上も前のこと、法事で半日を一緒に過ごしたことがあった。彼は温和で物腰が柔らかく、退屈している子どもたちに「何でも好きなものを持っておいで、僕は目は見えないけれどそれが何なのか当ててみせるから」と遊んでくれた。子どもたちは競うように、部屋にあった湯呑やペンや紙切れや自分のおもちゃや母親たちのバッグの中の細々したものまでを手当りしだいに持っていき、一瞬の迷いもなく正解を言ってみせる叔父さんに歓声をあげた。それは楽しいひとときだったけれど、わたしはそれからしばらくのあいだ、そのおじさんのことが頭から離れなくなった。それはおじさん自身のことというよりも、おじさんの見ているものについてだった。 母によると、彼は後天的に病を得て失明したらしい。目が見えないということは光のない世界にいることなのかと訊くと、そういうことやな、と母は言った。ただ、おじさんは今はもう目が見えないけれど、見えていた時期がある。つまりおじさんは、光がどういうものかを知っているし、光の記憶を持っ
われわれは花にさえ
趣味といえるものがほとんどないけれど、この十数年、花のことをよく考えるようになった。昔は著名人がインタビューなどで「毎日、花は欠かしません」なんて話しているのをみると、「すっごいな」なんて驚いていたけれど、最近は少しわかるようになってきた。たくさんだったり、豪華な花じゃなくていいんですよね。なんか、そこに花があるということが連れてくる何か、というものがあるような気がする。 切り花を買って飾れば、みんな必ず枯れてゆく。生まれて、咲いて、朽ちてゆく。わたしたちが只中にいる「生」を、切りとられた花たちは駆け足で、何度でも垣間見させてくれているような気がしてしまう。花の「生」を使って、人間が一度きりを生きるだけでは見られない何かを見て、何かを満たしているような、そんな気がしてしまう。だから花を買って飾るとき、いつも、いちまつの後ろめたさが残ってしまう。 誰かが生まれてきたとき。誰かを、心からお祝いしたとき。そして大切な誰かがいなくなるとき。花で迎えて、花を贈り、花で送りだしたいと思ってしまうのは、どうしてでしょうね。たとえば空。たとえば忘れられない匂い。たとえば、胸の底からこみあげる
目じりの秘密
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『りぼん通信』はじめますに寄せて
文章を書いて生きていくことになるとはまったく想像もしていなかった二十代の半ばから終わりにかけて、わたしは誰も辿りつけないようなネットの端っこで、毎日のように日記を書いていました。自由で何にもなかったけど、それは今から思うともう二度と出会えないようなすべてに満ちていたような奇妙な日々で、書けるものも書けないものもそのままそっくりリズムに乗せて、好きなように好きだけ、でもそれはもう二十年も前のことになってしまいました。 あれから文章を巡る色々が変わって、自分も変わって、エッセイや日記めいた文章は依頼をされて書くものになってしまった。ああ、いつかまた昔みたいに、短いのも長いのも、詩も批評も文学も、本や映画や音楽のことも、日々の暮らしや食べたもの、後悔も風景も、感情も出来事も、お知らせも思い出も、美容も淋しさも装いも、好きな人、大切な人のこと、もう会えない人のこと、もう行けない場所のこと、ぜんぶを混ぜてどこまでもうねりながら膨らんでいく文章を書きたいな、書けたらいいな、そしてそれを読んでもらえるといいなと、この数年、思っていました。 それで、『りぼん通信』をはじめることにしました。