われわれは花にさえ
趣味といえるものがほとんどないけれど、この十数年、花のことをよく考えるようになった。昔は著名人がインタビューなどで「毎日、花は欠かしません」なんて話しているのをみると、「すっごいな」なんて驚いていたけれど、最近は少しわかるようになってきた。たくさんだったり、豪華な花じゃなくていいんですよね。なんか、そこに花があるということが連れてくる何か、というものがあるような気がする。
切り花を買って飾れば、みんな必ず枯れてゆく。生まれて、咲いて、朽ちてゆく。わたしたちが只中にいる「生」を、切りとられた花たちは駆け足で、何度でも垣間見させてくれているような気がしてしまう。花の「生」を使って、人間が一度きりを生きるだけでは見られない何かを見て、何かを満たしているような、そんな気がしてしまう。だから花を買って飾るとき、いつも、いちまつの後ろめたさが残ってしまう。
誰かが生まれてきたとき。誰かを、心からお祝いしたとき。そして大切な誰かがいなくなるとき。花で迎えて、花を贈り、花で送りだしたいと思ってしまうのは、どうしてでしょうね。たとえば空。たとえば忘れられない匂い。たとえば、胸の底からこみあげる、ありがとうとか、またいつか、と手を振る気持ち。悲しい涙、うれしい涙。本当はそれを手渡したいけれど、それを抱きしめてほしいけど、そうした善いものぜんぶでくるんで満たして見送りたいのだけれど、もしかしたら形にはならないそういうものをすべて受け止めて、引き受けてくれるのが、人間にとっての花なのではないだろうか。声にならないものを、伝えきれないものを、表してくれるのが花なのではないだろうか。もちろん花はいつでもただ咲いているだけで、それはわたしたちの勝手な思いなのだけれど。
花を飾るとき、枯れたとき。ありがとうねと思う気持ち。みんな、繋がってる。
