べつのしかたで

べつのしかたで

 物心がついたときから、いつかみんなが死んでしまうことについて考えていた。いや、考えていたというより、圧倒されていたというのが正しいような気がする。いま目のまえにいる大好きな祖母や母が、いつかいなくなるときがくる。それは今じゃないかもしれないけれど、そのときは必ずやってきてわたしを捉える。そう思うと、恐ろしさでどうしていいのかわからなくなった。そして、こんなふうにいろんなことを感じたり、物を見たり、体を動かしている自分も、必ずいなくなるときがくるのだ。

 哲学的な知識がまったくなくても、それがある意味での世界の終わりであることが直感でわかった。真夜中のある瞬間に、その事実としっかり目が合うときがあって、目を逸らせないその視線に追い詰められて逃げ場がなくなり、やり過ごすのに必死だった。そして大人たちはどうして平気でいられるんだろうと思った。いつか死ぬのに。みんないなくなるのに。だから死に一年近づくはずの誕生日を祝うハッピーバースデイの歌がうたえない子どもだったし、死に向かいながら生きるのって、いったいどういうことなんだろうと、いつも不思議に、不安に思っていた。

 けれどもわたしは大人になり、仕事をし、子どもを生み、そして六年前に祖母を亡くし、去年、母を見送った。恥ずかしながら、まだ毎日泣いている。幼い頃からこの世界でいちばん恐れていたことが現実になって、わたしは今その現実を生きながら、ああ、いつかみんな死ぬのって本当だったんだな、世界ってのは容赦がないな、なんてどこか感心すらしているところもあるけれど、何よりも淋しくてどうしようもない。なにが淋しいのかというと、たぶんきっと、もうどんなことをしても、二度と会えないことが淋しいのだと思う。

 別れや最後は、最初から別れや最後の顔をしてやってくることはない。あとに振り返って、あれが別れや最後だったんだとわかるだけ。何十年という長い時間を過ごして、楽しい記憶、笑った思い出もたくさんあるのに、でも不意に、そして執拗に隅々まで検証するみたいに思いださなくてはいけないような気持ちになるのは、最後にしゃべったこと、交わした言葉、そればっかりだ。どうしてだろう。最後の言葉って、どうしてこんなに意味をもつんだろう。最後って、やっぱりそんなにすごいことなのか。でも始まりもすごいよね。じゃあ最後と始まりとの違いって? わからない。でもそんなことを考える。

 わたしの母は、心優しいプロテスタント教徒で、深刻な病気を告知されたときも、あまりにしんどい治療が進んでからも、いつも朗らかだった。50年近く大切にしていた聖書にはたくさんの線引きがあるけれど、文章らしい文章を書く人ではなかった。でも、東京で暮らすわたしにときどき手紙を送ってくれたし、そのたびに、わたしは子どもの頃からおつかいのときに渡されるメモの母の字が大好きだったことを思いだして(母の書く文字も、やっぱり大きくて朗らかなのだ)、とてもしあわせな気持ちになった。母が亡くなってから、本当に数少ない持ち物のなかに、付録かなにかでもらったような小さな手帳があって、少し躊躇したけれど、読んでみた。そこには、一緒に暮らしていた犬たちが亡くなったときの祈りや、キリストへの祈り、わたしたち子どもの誕生日のこと、祖母が亡くなって数ヶ月間は、さみしい、さみしいと、あの母の字で書かれてあって、もっと話をきいてあげればよかったと胸をおさえた。

 手帳にあった言葉は、わたしに向けられたものではなく、母が日々、思ったり感じていたこと。それは誰に向けられたものでもないぶん、母自身に近く、母の声そのものであるようにも思う。でもうまく言えないけれど、それを読んでも、どこかわたしと母の気持ちが交わらない感覚がある。それはたとえば、町中で母親が歩いているのを見かけて、わたしからは母が見えているのに、母からはわたしが見えていないまま離れていってしまう感じ。わたしは子どもの頃から、母が働くスーパーに行っては、少しだけ母がわたしに気づかないまま働いているところを見つめて、それから、わあ!と驚かして、みえちゃん来てたん、と笑いあって、いつも必ずそんなふうに会ってから家に戻っていた。手帳の文字は温かいけれど、わたしには気づかない母の横顔を見つめているような気持ちになる。

 わたしは心のどこかで、もし母がわたしあてに手紙を残していたらどうしようと思っていた。それがどんな内容であっても、悲しすぎて、手紙がもってしまう意味や思いに耐えられないだろうと思っていたのだ。でも今は、わたしあての手紙があったらよかったのかもしれない、と思っている。もう返事ができなくても、言葉を交わすことができなくても、もう二度と会うことができなくても、でもその文字にふれるたびに、わたしにむけられた言葉を読むたびに、今までとはべつのしかたで——でもスーパーで「おかあさん!」と呼んで駆け寄っていったときとおなじように、これからもずっと母と見つめあうことができたのかも知れないと、そんなふうに思うからだ。

この文章は、『芸術新潮』2025年12月号「明治安田 リレー連載〈1〉」に掲載された。

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