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穂村弘×川上未映子 対談「名前のない世界への扉を探して」後編
※この記事は、「穂村弘×川上未映子 対談 前編」の続きです。 ■葬儀の場で革ジャンが着られるか 川上 この歌集にはお母様の死を詠んだ短歌がありますが、亡くなったお母様のことを書くときに、因果も含めて穂村さんの中でお母様が一番大事な存在だったとするなら、その死に対して、「べつの仕方」みたいなものは発動したんですか。 穂村 そこが問われる、という意識はありました。親が死んだときに、急に敬虔になったな、みたいな軽蔑ってあるじゃない(笑)。 川上 誰に対して? 穂村 自分自身に対して。摂理に対して急に順接に、敬虔な態度になったな、と自分に言われたくないけれども、じゃあどうするか。逆の方向にも、書くだけなら何だって書けるわけだよね。でも本当に人が死んだという現実に拮抗する言語表現でなければいけないでしょう。つまり、拮抗する非順接的な表現があるなら、それを選びたい。 川上 敬虔な体験に対して敬虔なものを記述したとしても、それは出来事に見合ってないということですね。 穂村 忌野清志郎が死んだとき、葬儀にみんなが来て弔辞を読んだ。甲本ヒロトは革ジャンで来た。僕だったらどうするだろう。も

穂村弘×川上未映子 対談「名前のない世界への扉を探して」前編
穂村弘さんの歌集『水中翼船炎上中』の刊行を記念して対談が行われ、2018年「群像7月号」に掲載されたもの。穂村さんとはこれまで、主に表現における詩性(ポエジー)について数えきれないほど対話の機会をいただいていますが、この対談は印象に残っていて、あるのかないのかわからない扉が一瞬だけ見えたような、そんな気がしました。穂村さんと話していると、世界にはこのような視点からしか触れることのできない部分があり、このような言葉のもとでしか現れない姿があり、自分はそのほとんどを知らないまま死んでいくのだなということをいつも思います。前編・後編にわけてお届けします。読んでいただけると嬉しいです。 ■短歌とリアリズムのコード 川上 穂村さんは、漫画家の高野文子さんの新刊が出ると「くるならこい」と思うとおっしゃっているけど、それが凝縮されたような気持ちで、『水中翼船炎上中』を読ませていただきました。十七年ぶりの歌集ということですけれども、この十七年間、断続的に短歌はつくられていたわけですよね。これまでランダムに書いたものを集めて、章立てに振り分けたんですか。 穂村 ざっくり言えばそうですね。再構成

春に思っていたこと
この文章は、2023年の春に「ゲンロン15」への寄稿のために書いたもの。当時は、母の加療が進み、さまざまが満身創痍だったのだけれど、ご依頼を受けた直後にわたし自身にも病が発覚して、かなり大きな手術を受けることになった。術前に受けた告知は深刻なもので(詳細は長くなるのでいずれまた)、このエッセイがわたしの書く最後の文章になる可能性が本当にあるなと思いながら書き、最後の文章のつもりで書いた。書きながら、上田洋子さんと東浩紀さんの手がける雑誌でよかったな、とも思っていた。あれから三年がたって、いろんなことが変わってしまった。読んでいただけると嬉しいです。 ゲンロン誌からエッセイの依頼をちょうだいして、テーマはとくに決まっておらず、なんでも自由に書いてくれとのことだったので新鮮な気持ちになった。この数年、女性誌などでお題のあることについて書くことはあったけれど、なんについて書いてもよいというのが嬉しかった。これは考えてみればおかしなことで、ネットだってあるのだからいつでも好きなときに好きなことを寄稿でなくても書けばよいのに、そういえば何年も書いていなかった。この仕事をするきっかけになった

『りぼん通信』はじめますに寄せて
文章を書いて生きていくことになるとはまったく想像もしていなかった二十代の半ばから終わりにかけて、わたしは誰も辿りつけないようなネットの端っこで、毎日のように日記を書いていました。自由で何にもなかったけど、それは今から思うともう二度と出会えないようなすべてに満ちていたような奇妙な日々で、書けるものも書けないものもそのままそっくりリズムに乗せて、好きなように好きだけ、でもそれはもう二十年も前のことになってしまいました。 あれから文章を巡る色々が変わって、自分も変わって、エッセイや日記めいた文章は依頼をされて書くものになってしまった。ああ、いつかまた昔みたいに、短いのも長いのも、詩も批評も文学も、本や映画や音楽のことも、日々の暮らしや食べたもの、後悔も風景も、感情も出来事も、お知らせも思い出も、美容も淋しさも装いも、好きな人、大切な人のこと、もう会えない人のこと、もう行けない場所のこと、ぜんぶを混ぜてどこまでもうねりながら膨らんでいく文章を書きたいな、書けたらいいな、そしてそれを読んでもらえるといいなと、この数年、思っていました。 それで、『りぼん通信』をはじめることにしました。

その一瞬のために
遠い親戚に、目の見えないおじさんがいた。 数回しか会わないままわたしは大人になり、彼はもう死んでしまったけれど、もう三十年以上も前のこと、法事で半日を一緒に過ごしたことがあった。彼は温和で物腰が柔らかく、退屈している子どもたちに「何でも好きなものを持っておいで、僕は目は見えないけれどそれが何なのか当ててみせるから」と遊んでくれた。子どもたちは競うように、部屋にあった湯呑やペンや紙切れや自分のおもちゃや母親たちのバッグの中の細々したものまでを手当りしだいに持っていき、一瞬の迷いもなく正解を言ってみせる叔父さんに歓声をあげた。それは楽しいひとときだったけれど、わたしはそれからしばらくのあいだ、そのおじさんのことが頭から離れなくなった。それはおじさん自身のことというよりも、おじさんの見ているものについてだった。 母によると、彼は後天的に病を得て失明したらしい。目が見えないということは光のない世界にいることなのかと訊くと、そういうことやな、と母は言った。ただ、おじさんは今はもう目が見えないけれど、見えていた時期がある。つまりおじさんは、光がどういうものかを知っているし、光の記憶を持っ

われわれは花にさえ
趣味といえるものがほとんどないけれど、この十数年、花のことをよく考えるようになった。昔は著名人がインタビューなどで「毎日、花は欠かしません」なんて話しているのをみると、「すっごいな」なんて驚いていたけれど、最近は少しわかるようになってきた。たくさんだったり、豪華な花じゃなくていいんですよね。なんか、そこに花があるということが連れてくる何か、というものがあるような気がする。 切り花を買って飾れば、みんな必ず枯れてゆく。生まれて、咲いて、朽ちてゆく。わたしたちが只中にいる「生」を、切りとられた花たちは駆け足で、何度でも垣間見させてくれているような気がしてしまう。花の「生」を使って、人間が一度きりを生きるだけでは見られない何かを見て、何かを満たしているような、そんな気がしてしまう。だから花を買って飾るとき、いつも、いちまつの後ろめたさが残ってしまう。 誰かが生まれてきたとき。誰かを、心からお祝いしたとき。そして大切な誰かがいなくなるとき。花で迎えて、花を贈り、花で送りだしたいと思ってしまうのは、どうしてでしょうね。たとえば空。たとえば忘れられない匂い。たとえば、胸の底からこみあげる





