カフカ、ジョイス、ヴォネガット、あるいはヴェイユ
イギリスのガーディアン紙の読書についての名物インタビュー・コーナーに「川上未映子「カフカはわたしの心の拠り所」――カート・ヴォネガットのユーモア、ジェイムズ・ジョイスを読む喜び、そしてビアトリクス・ポターの翻訳について」として掲載されたもの。こういうシンプルで本質的な質問は、なんだか人生の振り返りと大切な確認をしているみたいな気持ちになります(本ってやっぱり人生にかかわる重要な何かだと思ってるんだね)。これまで読んできた本について言葉にすると、忘れていたこと、懐かしいこと、いろんなことを、いつもとは違う方法で思いだしたり、出会い直したりするようです。みなさんはどう?
☆1 いちばん最初の読書経験の記憶は?(何を読んでいましたか?いくつのとき?どこで?)
わたしが育った家にはほとんど本がなかったので、新学期に学校で配られる国語の教科書が楽しみでした。一年かけて通読するのを一日で読み切って、何度もくりかえし読みました。教科書というと退屈に思うかもしれないけれど、わたしはそこで日本の現代詩や俳句や短歌にも出会うことができたんです。タイトルや作者の名前を忘れてしまっても、今でもありありと思いだせる会話や感情やシーンがいくつもあります。子どもの頃の曖昧な感覚とないまぜになっているそれらは、わたしを幸せで少し不安な気持ちにさせます。
☆2 おとなになるまでに読んだ本のなかで一番のお気に入りは?(そして、なぜ?)
ヘルマン・ヘッセ『デミアン』。数多いるモラトリアムを生きるフィクションの主人公のなかで、ジンクレエルの思慮深さ、自信のなさがいちばん好きでした。最後の一文は今でもとくべつな響きをもっています。
☆3 10代のときの自分を変えた本は?(その本を読んだ年齢、どんな影響を与えましたか?)
十代でカート・ヴォネガットを読めたのは幸運だったと思います。ミヒャエル・エンデが言うように、ユーモアとは戯けることではなく、必ずやってくる人生の致命的な苦難や挫折を経験したときに、その人がそれらにどう向きあうかの姿勢そのもの。これはわたしが生まれ育った大阪の精神にも通じるところがあって、アメリカ人作家の作品世界を通して自らの文化のエッセンスを理解できたことは驚きでした。ヴォネガットはもてる想像力と壮絶な経験をとおして、絶望における人間の希望のありかたを教えてくれました。
☆4 自分の考えを変えた作家(いくつのとき?何について?なぜ?)
ジェイムズ・ジョイス。それまでわたしが詩だと思っていたものの外見と中身を、つまり詩の概念をそっくり変えられたと思います。
☆5 作家になりたいと思わせた本は?(いつのこと?何を読んでいた?)
わたしは作家になりたいと思ったことが一度もなく、そのときそのときの仕事を夢中でつづけて今になったという感じなので、該当する本がないんです。
☆6 ふたたび読み返した本、または作家は?(若いときは読めなかったけれど、おとなになって読み返した本または作家は?なぜ?)
シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』。信仰をもたない身からすると、ヴェイユの文章を読むことはできても、そのエッセンスにじかに触れたという実感がこれまで持つことができませんでした。けれども年齢を重ね、様々な人間の限界にさらされるようになってきた今、ヴェイユのいう「神」が、これまでとはちがう存在になってきた感じがしています。
☆7 何度も読み返す本は?(人生の節々で読み返す本は?いつ?なぜ?)
日本で初めての女性職業作家とされる樋口一葉の『たけくらべ』。130年前の東京下町の風俗と、子どもたちのイノセンスのきらめきが極上の筆致で綴られています。美しい文章に触れる喜びと同時に、現在にいたるまで経済格差も差別構造も、本質は何も変わっていないのだと思いしらされます。あとはカフカのアフォリズム。
☆8 もう二度と読めない本は?(若いときは楽しめたけれど、今は楽しめないだろう本は?)
今は「継承」そのものにどうもマッチョさを感じてしまう。抑圧的で強い父とその息子の相克の物語はもうじゅうぶん読んだかも……あまりに多くて一冊に絞れません!
☆9 人生の後半になって見つけた本は?
ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』。数年前に邦訳が出たんです。人生の悲しみ、やるせなさが、このように書かれうることに感嘆します。
☆10 今読んでいる本は?
ビアトリクス・ポター『ピーターラビット』全23巻。全訳を担当しています。二年かけて精読しているのですが、構造の周到さに惚れ惚れします。絵もまったく素晴らしい。たとえば栄養価の高いものを食べている動物は艶々とし、そうでないものは脂にまみれてバサバサしていたり、階級によって毛のタッチを描き分けていたり。ポターの洞察とその人生から学ぶことはとても多いです。
☆11 あなたにとって心の拠り所になる本は?
カフカの書いたものです。絶望とは忌み嫌って避けるべきものでも、人生のうちに起こってはならない不幸なのでもなく、人間が生きていくために必要な条件であるという真実を教えてくれるからです。
初出:Mieko Kawakami: ‘Franz Kafka is my comfort read’ The Japanese author on the humour of Kurt Vonnegut, the joys of James Joyce and translating Beatrix Potter 2024 川上未映子「カフカはわたしの心の拠り所」——カート・ヴォネガットのユーモア、ジェイムズ・ジョイスを読む喜び、そしてビアトリクス・ポターの翻訳について
https://www.theguardian.com/books/2024/jan/12/mieko-kawakami-franz-kafka-is-my-comfort-read
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