夜を生きる人々
もうずいぶん前のことになるけれど、ある真夜中、歩道橋の階段を転がってきた若い女性を介抱したことがある。東京の大きな幹線道路と住宅街の境目で、暗くて人の気配がない場所だった。ごろんごろんとゆっくり転がってきた彼女は、意識はあるけどろれつが回らず、見事なまでに泥酔して、そしてずっと泣いていた。急性アルコール中毒のような感じではなかったので、水を飲ませて、タクシーで家まで送り届けた。翌日、メモを見てお礼の電話をかけてくれた彼女は「本当にありがとうございます!今日も飲みにいきますが、昨日のようにはならないようにします!」。少し呆れたけれど、元気な様子に安心した。
これは日本に限ったことではないけれど、飲酒にはいくつか種類がある。まず、楽しんで自主的に飲む酒。つぎに、楽しくもないけど、飲まないとやってられないから飲むというような逃避や自傷に近い酒。そしてみっつめは、金のために飲み、飲ませる酒。日本の、とりわけ東京のナイトライフについて何か書けと言われたら、このみっつめを無視することはできないだろう。
居酒屋、立ち飲み屋、ショット・バー、ガールズ・バー、スナック、ラウンジ、キャバクラ、サパークラブ、ホストクラブ、会員制の高級クラブ……日本にはそれぞれが独自のルールと料金システムを持った酒場が星の数ほどある。海外の読者になかなかうまく説明できないのは、なかでも女性が席について接客をする飲み屋についてだ。『黄色い家』にも、女の子たちが切り盛りする<れもん>というスナックが出てくるが、スナックは地域に密着した小さな飲み屋で、値段も良心的。いっぽう、会員制の高級クラブは、今だと座るだけで10万円近くするだろうか。東京では銀座、大阪では北新地に集中しており、政治家や経営者、芸能人、アスリートといった社会的に成功した人々が顧客であり、美容室で毎日髪をセットし着物やドレスを身につけ、訓練されたホステスたちが接客する。一見客は入ることができない。わたしが若い頃にお世話になったのは、こうした高級クラブだ。
シングルマザーの家庭で育ち、家には生きていくために必要だった多額の借金があり、ひとつ年下の弟は上京と大学進学を控えていた。高校を出たばかりのわたしがこれらすべてをやってのけることができたのは、報酬のいいクラブに勤めることができたからだ。もちろん工場や皿洗いや、ファミレスや書店員の仕事や、大学の通信課程で学んだ哲学もかけがえのない経験だけれど、夜の世界には、昼間の光のもとでは決して見えることのないものがひしめいていたと思う。わたしは夜の女たちに情を与えられ、厳しく仕事を教えられ、理不尽さも含めた世間のなんたるかを叩き込まれた。ときどき取材で「わたしはホステス大学出身だから」と言うのは冗談ではなく、社会的な、つまり形而下の大事なことのほとんどを夜の世界に属するものや人から学び、育てられたという実感がある。
とはいえ、当時の心境は複雑だった。同じ年の友人たちは親にしっかりと守られ、自分のことだけを考えることができ、青春を謳歌しているようにみえた。当然ながら彼女たちはわたしの境遇を理解できなかったし、わたしはわたしで、やる気に満ちながらも、誰からも経済的な安心を与えてもらえない存在であることに恥ずかしさのようなものを感じていた。とにかく今から30年ほど前、ホステス稼業というのは──もちろんオーナーになって財をなす女性もいたけれど、それはあくまで結果であり、そもそもは何かしらの事情を抱えてやってくる女性が大半だったのだ。
しかし時は流れ、そうした夜の世界のイメージはSNSの登場とともに大きく変化した。独特の料金システムを持つキャバクラやラウンジと呼ばれる飲み屋が隆盛を極めると、そこで働く女性たちは、その逞しさとともに現代の新しいロールモデルのひとつとなったのだ。全身をハイブランドで固め、高級料理を食べ、スキンケアのように整形をくりかえす。常連客たちは競うように自分の気に入ったキャバ嬢に大金を遣い、トップクラスになると年間売り上げは数億円、誕生日には、一本10万から100万以上もするシャンパンを何十本もあけてシャンパンタワーを満たすという慣例もあり、その数日間で1億円近く売り上げるキャバ嬢もいる。そうした様子が拡散されると、それが常態であると錯覚する。身ひとつで成り上がっていくその姿は、資本を持たない、とりわけ地方に住む若い女性たちにぎらついた希望を与える。実家も貧乏、大学を出てあくせく働いても年収250万。決して埋まることのない格差。若いうちにしかできない仕事で人脈を作り、金を稼ぎ、人生を好転させることができるのではないかと憧れを抱かせる。煌びやかに編集されたSNSや彼女たちの<最高の状態>を演出したネット番組が、高額な報酬の対価である異常な過酷さを完璧なリタッチで隠蔽していることなどわかっているけど、手を伸ばすことのできるチャンスはそこにしかないように思えてしまう。
もうひとつ、金と飲み屋といえばホストクラブだ。大金を遣って遊び、店とキャバ嬢を儲けさせるのは、成功した金持ちの男性である。しかしホストクラブでホストに何千万という金をつぎ込む女性のほとんどは、金のない労働者、その多くはセックスワーカーたちだ。淋しさを沸騰させた、ときに未成年も含む彼女たちは優しい言葉を囁いてくれるホストに依存し、持ってもいない金をどんどんつけにして自らを追い込む。とはいえホストも資本を持たない若い男性がメインで、生きるのに必死なことに変わりはない。持たざる未熟な若者同士が抱きあったまま灰色の雪山を転がりつづけて借金は膨らんでいく。このループが途切れることはない。
東京の夜の享受者、労働者、サバイバーたちはさらに多様で細分化しており、ここにすべてを書くことはできない。マッチングアプリや仲介者を通じて金銭を稼ぐパパ活も盛んだし、金をもらって飲み会に参加するギャラ飲みもある。いずれにしても資本は自らの体のみ、文字通りのハイリスク・ハイリターンである。そしてもはや店舗もない状態──歌舞伎町のトー横と呼ばれる路上には、ネグレクトされ行き場のなくなった貧困の極みにある子どもたちが全国から流れつき、そこで寝起きし酒を飲み、オーバードーズした何人もの子どもが転落死し、堂々と買春が行われるまでになった。夜のなかで発揮される欲望の醜さと金のエネルギーは凄まじく、仕掛けられた罠の多さ、孤独の深さは計り知れない。これは、時代がいつであっても変わらない。海外の読者の持つ東京のナイトライフのイメージは、ひしめく高層ビルの最上階から見下ろす夜景、安価で受けられる清潔なおもてなしと見目麗しく美味しい料理、あるいは奇妙に洗練された文化の享受かもしれないが、その足もとにはどこまでも満身創痍で転がりつづける人々のナイトライフがある。
人生には、結果から振り返ったときに初めてあらわれる道筋というものがあり、それが自分にとって辿る価値のあった道筋だったのか、そうではなかったのかを知ることになる。誰もがみな、おなじように転がってはいるのだけれど、結果的に辿り着いたその場所に「落ちた」のか、あるいは「着地した」のかが、それを見定めるのかもしれない。
あいつは落ちた、こいつはうまく着地した──そんなふうに一瞥するのはいつだって世間や他人だが、しかし外から見えるものと、なかで本当に起きていることは、往々にして一致しないものだ。外からどう見えようと自分が着地したとわかるのであれば、それは着地だ。どんなに惨めでぼろぼろの姿になったとしても、自分がそこに舞い降りたのだと思える現在に辿り着くことができたのなら、それは着地なのだ。落ちて何が悪いのか、着地するのがそんなに偉いのかというと、もちろんそうではない。ただ、すべての落下が保証せず、多くの着地が保証するものは、その人が、まだ生きているということだろう。
いつかの真夜中、歩道橋の鉄の階段をごんごん鳴らして、泣きながら転がってきた彼女のことを、つぎの日の朝には元気な声で電話をくれた彼女のことを、ときどき思いだす。人生は不公平で、生きるためには金が必要で、ほとんどのことが痛い。けれどわたしは夜を生きる人々に、とりわけ若い人々に、生きていてほしいと思う。
#025
以上はイギリスの「フィナンシャル・タイムズ」紙より東京のナイトライフについてのエッセイを依頼され、寄稿した文章の原文である。2026年2月3日掲載。
